設立の経緯〜2006年7月1日 第1回発起人会 佐藤洋平準備委員代表(当時)あいさつより


 今日は本当に遠方より多数の方々が、この発起人会にお集まり頂きまして誠にありがとうございます。我々準備委員会が今日までいろいろ準備いたしまして、ようやくここにこぎつけられた訳でございますが、この間、皆様方に我々の趣旨をご理解いただき発起人をお引き受けいただきました。本当に心から強く御礼申し上げます。
 
 皆様方すでにご案内のように、2000年から我が国で中山間地域等直接支払い制度が始まりました。この制度の5年目を迎える2004年に中山間地域等総合対策検討会という委員会でこの中山間地域等直接支払い制度の政策効果を検証するということで検証作業をおこないました。
 ちょうど2年前でございますが、8月に検証結果報告をまとめてきた次第でございますが、この結論は皆さんご案内のように直接支払い制度が十分効果を発揮しているということがレポートの内容でございましたが、そのレポートのとりまとめる最後の委員会がちょうど8月でございまして、委員会が終わった後で当時の野中委員から是非一言発言させてほしいというご発言がございました。
 そのご発言はこうした中山間地域等直接支払い制度が政策意図を十分達成している、とはいいながらも、現状においても制度に乗り切れない集落も少なからずある。あるいはそのままの状況でいくと、将来において過疎化が進み、高齢化がさらに進むだろう、ということで中山間地域の状況は、ますます厳しくなるということも考えられる。こういう状況を思い巡らしてみるに制度にゆだねるのみでなく何か別の手だてがないだろうか、例えば、指導する、助言する、援助するというようなことがないだろうか、という趣旨のご発言がありました。そこの委員会に出席されている委員の人たちは皆同じ思いを抱きました。
 
 その委員会は終わったのですが、約一年たった、今からちょうど一年前、昨年の7月にそういう同じ思いを抱いたもの達が期せずして何かしようではないかと集まりました。そしてひとまず勉強会をしようではないかということで、村田さんのいらっしゃるところの会議室をお借りしながら月に一度位のペースで夕方集まって勉強会を重ねて来ました。
 そしてこの年の始めでございますが、勉強した結果として全国同じような思いを持っているような人達のネットワークをつくり中山間地域に対して何かアクションを起こすようなことができる仕組みを作ろうではないか、それを中山間地域フォーラムと名付けようということで、ひとまずこの、今日ここにあるような形での姿が見え始めました。フォーラムと名付けて、準備委員会に衣替えして今日を迎えるための準備をはたして参りました。
 
 ここにいらっしゃる皆さんには準備委員会の名のもとに3月の末、ないしは4月の上旬に発起人になっていただきたいというお手紙、ご連絡等々差し上げてお引き受けいただきました。そして5月の中頃には皆様方を通じて本日のこの発起人会、総会のご案内をさせていただき、6月5日には農林水産省の記者クラブを通じてプレスリリースいたしました。共同通信社の配信を受けて地方の各新聞に取りあげていただきました。そして6月21日だったと思いますが、農業共済新聞にこの件に関する野中さんのインタビュー記事を載せていただきました。同時に一方では小田切先生が、すでにその時存在しておりました島根県中山間地域研究センターと連携を計るべく連絡をとりました。そのセンターのすでに構成されているネットワークで流すというようなこともしておりました。そうした動きの中で我々が当初、思い描いた以上の大きな反応を頂きました。

 そして、今日ここに設立総会を迎える事が出来たわけですが、たくさんの方にここにお集まりいただく事が出来ました。思えば、野中さんのこうした最初の一石が、5人の和に広がり、それが10人の和に広がり、100人の和、そして今日では200人の和、全国津々浦々、全国から200人の和が広まったということで、我々にとって非常に大きな喜びであります。と同時に本当に皆さんに厚く御礼を申しあげたて、私の粗辞を閉じたいと思います。どうもありがとうございます。