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群馬県南牧村の「御柱祭」
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 「御柱祭」(おんばしらさい)といえば、信州・諏訪大社のお祭りが有名だが、全国各地にある分社のなかにも御柱祭をやっているところがある。中山間地域問題に取り組んでいる産官学の自主的な組織「中山間地域フォーラム」が支援している群馬県南牧(なんもく)村の星尾(ほしお)地区の星尾諏訪神社でも、今年4月11日、50回目の御柱祭がおこなわれた。数え年で7年目ごと、6年に一度挙行されるから、300年続いていることになる。
 御柱は、南牧川の支流である星尾川の源流域にある「線ケ滝」近くにある星尾諏訪神社の奥社の森林内で、昨年10月に切り倒しておいたスギの大木である。直径70センチはある切り株の年輪を数えてみたら130を超えていたという。太さ2メートル、長さ20メートルもの大木1本を、伐採地から林道までの急斜面を降ろす「木落とし」が始まったのは、11日朝の8時45分だった。総指揮を執るのは、星尾地区の区長を務めたこともある石井偉夫さん(72)で、御柱祭に参加する集落の男衆たちの平均年齢も70歳を超える高齢者ばかり。
「稚児タスキ」とでもいうのだろうか。お祝いごとに使う赤やピンクのタスキを、背中に蝶結びができるように締め、頭には「祝 星尾諏訪神社 御柱50本祭」というハチマキをきりりと締めたいでたちは、華やかで祭り気分も高まる。信州・諏訪の木落としのように、落ちる御柱の上にまたがる危険なことはやらないが、太いロープに引かれて急斜面を滑り落ちる場面は、やはり迫力がある。
 伐採地点下の林道から、御柱を立てる星尾諏訪神社まで約2キロメートル。この間の道は、ほとんど地元の製材会社のクレーン車に引いてもらったが、神社近くの100メートルぐらいは、地元の老若男女が御柱にかけたロープを人の手で引く「里曳き」を実施した。何トンあるのだろう。「よいしょ」「よいしょ」の掛け声に合わせて、筆者ら中山間地域フォーラムからの参加者も手を貸したが、ものすごく重い。
 神社の脇に曳かれてきた御柱は、集落の人たちによって木の皮がはがされた。皮がついたままだと、そこに虫がすみついて柱を食べられてしまったり、腐ってしまったりすることもあるそうだ。御柱は長さ7間5尺3寸(約15メートル)に切られた。この長さは、氏子の寄り合いで「縁起のいい数字」ということで決められたそうだ。先端部分は7角形に切り落とされ、氏子の子どもたちによってクレヨンで7色に塗り分けられた。一方、6年前に立てられた御柱は、クレーンによって引きぬかれた(あとで集落の人たちによる競売にかけられ、1万5千円で落札された)。
 新しい御柱は、前の御柱のあったところに立てられるのだが、その穴を掘り直すのが大仕事なのだ。中山間地域フォーラムの院生や学生らが、その若さを期待されて穴掘りに駆り出されたが、土の中に大きな岩があったりして大苦戦。見るにみかねて、70歳を超えた集落のおじさんがツルハシやスコップを器用に使いこなし、われわれはただ感心するしかなかった。作業が一段落したところで、見守る集落の女衆から「6年後もまた穴掘りに来てね」と労をねぎらわれ、フォーラムの参加者たちの疲れも吹っ飛んだことだろう。
 新しい御柱の建立は、クレーンを使って慎重におこなわれた。穴を埋め戻し、回りにササを立て、荒縄に紙飾りをくくりつけて、ひと通りの作業は無事に終わった。午後2時を回っていた。氏子である集落の女衆の手づくりこんにゃく、山菜の天ぷらなどが小さな神社の境内のテーブルに並べられ、お祝いの宴が繰り広げられた。
 最後に、御柱祭を取り仕切った石井偉夫さんが、あいさつをした。「みなさんから元気をもらった。今回が最後の御柱祭と思っていたが、6年後もまたやりたい」
 石井さんら集落の人たちは、ほとんどが70歳代。次の御柱祭を迎える6年後には80歳前後になっている。「体力的にもう無理。300年目の今回が最後だ」というのが、今回の祭りの前にみんなが話し合ったときの総意だったという。ところが、地域の氏子ら約40人が参加し、村の内外から100人以上が見物にきてくれた。参加者の大部分が何らかのお手伝いをした。6年前には、氏子以外の参加者はいなかったという。今回は300年記念ということもあって、村がポスターをつくって宣伝したことや、村外の中山間地域フォーラムが駆けつけたことも、集落の人たちには励ましになったようだ。
 御柱祭の一連の行事を見ていて感心したことがあった。木落とし、里曳き、穴掘り、建立、そして小宴……。「これから始めます」「お昼にしましょう」「無事終わりました」という、始まりや終わりを告げる掛け声は、氏子総代である小林勇さん(78)がやったが、一つひとつの作業に細かな指示を出すリーダーのような人は存在しなかった。集落のだれもが自分のやるべき仕事を知っていて、あるいはまるで予行演習をしていたかのように、スムーズに作業が進んでいった。
 スギの大木の皮をはぐのが上手な人、チェーンソーを使って器用に御柱の先を7角形に削る人、穴を掘る人、埋め戻すときにまるで石垣を組むように大小の石の配置を整える人、散らかった木くずの掃除をする人、裏山でササを刈ってくる人……。集落内の人々は、だれがどんな作業が得意なのか、お互い知っている。「役に立たない人」とか、「いなくてもいい人」というのはひとりもいないのである。だれにも出番があり、居場所があるのである。
 お祭りがあれば、集落という共同体の男も女も、それぞれ担うべき役割がおのずと割り当てられている。だれか特定の人の負担がとくに重いとか軽いということもない。能力に応じてやるべき仕事がおのずと決められていて、だれかの指示の下に動くというのではない。リーダーがいなくても、ことはスムーズに進むのである。
 ちなみに、都会ではそうはいかない。地域の町内会はもちろん、会社でも、あるいは家庭内においても、個々人の役割は正当に評価されず、出番もなく居場所もなく孤立している。ローカルな地域社会に対して、「相互監視の目が厳しい」とか「お節介が多い」とかいうマイナスイメージで語られることが多いが、ローカルな地域社会には、落ちこぼれを出さないというセーフティネットが張られているのである。この居心地のよさに代わるコミュニティの温かさが都会にはないので、集落のお年寄りたちは、いくら不便であっても、集落を離れないのであろう。
 村内に遠慮しがちに張り出された星尾の御柱祭のポスターには、「限界集落で300年の歴史をつなぐ」とあった。人口2600人、高齢化率全国一という南牧村は、群馬県の南西部に位置する山村で、長野県と県境を接している。なかでも星尾地区は、南牧川の支流である星尾川の源流域にあって、渓谷沿いに小さな5つの「限界集落」からなっている。世帯数は全部で65戸、住民は約150人いるが、星尾諏訪神社の氏子は約40戸だそうだ。昔は林業、養蚕、こんにゃく栽培で栄えたが、産業のすべてが衰退を余儀なくされ、いまや年金が主たる収入源である。そんな限界集落のお祭りに参加して、私たち都会の人たちの方が大きな元気をもらった。
                     村田 泰夫 (2010年4月22日)

日本人の原風景「中山間地域」を産学民官で支援する